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父の死

実家で在宅介護、在宅診療を続けていた父が、ちょうど今日からひと月前、2022年12月6日に亡くなりました。

私は東京で生活しており、父と同居していなかったのですが、週に父の面倒を見に通って頂いていたヘルパーさんから、9月頃から、夕食の弁当に全く手をつけずに捨てられていると報告があり、早速会いに行ったら全然元気が無い。

そこで医師に診て頂いたところ、脱水症状とのことだった。
その日から、在宅で点滴などの診療を行うことにし、息子である私と弟で交代で実家に通って面倒をみる生活が始まりました。

そのうち食べたり飲んだりすることができなくなりました。
嚥下能力が落ちてきたのです。

それこそとろみをつけたものをごく少量なら飲み込めるのですが、点滴で水分と栄養補給をするしかない状況になりました。

恐らく余命1月程度、10月末までもうかどうかというのが医師の診断でしたが、

生命力がよほど強かった父は、点滴以外飲まず食わずの生活ながら、11月の誕生日も越えて、12月まで生きました。

亡くなる二日前まで自力でトイレに行きましたし、看護師とも嫌な口の中の掃除を巡ってバトルをするなど、最期まで意志がハッキリしていて強い父でした。

最期の約3ヶ月間は私と弟が在宅で面倒をみていましたし、寂しさもほとんど感じなかったと思います。

最期の時も私がしっかり看取れましたので、良かったと思います。

2年前の母の死、そして父の死を経験して、人の命ということを学ぶことができました。

本人の意志と力を尊重して、自然体のまま最期まで過ごせるようにすること。

可能なら最期まで自宅で過ごして家族がそばにいてあげること。

これが大切だと思いました。

父に対しては、これはしてあげられたと思うので、心残りはありません。

両親が亡くなったことで、大切な故郷を失ったような寂しさはあります。

気持ち的にも、育った土地もそうです。

こればかりは誰でも歳を取れば通過することなので仕方がないことです。

別の見方をすれば、これからはどこで何をやるにしても全て自分の選択です。自由になったとも言えます。

父のように強固な自分の意志を持ち、父のようにそれを貫きたい、と思います。