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矢嶋揖子伝

山田火砂子監督の「我弱ければ 矢嶋揖子伝」を観てきました。

天保時代に肥後で一男七女の末っ子として生まれ、結婚後3人の子どもをもうけるも、酒乱で家族に乱暴をはたらく夫に愛想をつかし、妻の方から女のシンボルである髪を切り落として夫に離縁を突きつけ、東京に出てきてから女子教育者として一歩を踏み出す、という経歴の女性。

肥後の猛婦と言われるほど勝ち気な性格で、キリスト教徒となって、当時の女性の地位や価値観を変えるために社会に働きかける姿には、ただ尊敬するほかありません。

肥後から東京へ向かう船中で、本名の「かつ」から、「揖子(かじこ)」(自らかじを取って生きるために)と名前を変えたりするなど、彼女には凄まじく勝ち気な、負けず嫌いなところがあるのだと思いますが、

彼女にとってはそれが「ありのまま」の生き方であり、波瀾万丈な人生だったと思いますが、それが彼女の欲求に従った生き方であり、自然体だったんだろうなと感じました。

やはり、人それぞれタイプが違うため、その人自身のありのまま、自然体を貫くことは、人生を全うすることにつながるのだと思います。

私自身、彼女のように自然体を貫いて、生涯を生きなければ!

と決意を新たにすることができました。