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なんで私がラテン系?

今日は、日本人である私がなぜラテン系について語るのか?
ということをお話しします。

周りの人と、少しだけ違うことがあります。

それは親の生まれ育った環境。
戦前になりますが、まだ日本が貧乏な国だった頃です。
今でこそ日本は先進国であり、世界的にも裕福な国と言われていますが、(ここ数年はそうでもなくなってきたようですが)
戦前では、まだ日本はそれほど豊かな国ではありませんでした。

そんな時代に、秋田県で生まれ育った私の母系の祖父母は、20歳そこそこで、当時豊かな国と言われていた南米に移住したのです。
同時の日本は国を挙げて、国内で不足していた労働需要を確保するために海外移住を奨励していたということもあります。

南米移住といえば、ブラジル、ペルーが多かったのですが、祖父母の移住先はアルゼンチンでした。
そこで需要のあった花栽培をして生計を立てていました。
その祖父母が首都ブエノスアイレス郊外に家を建て、母を生み育てました。

母は血のつながりは純粋な日本人の血を引いていながら、アルゼンチンで生まれた日系二世です。

そんな母が日本に嫁ぎに来て、(父は日本人)私自身は名古屋で生まれ、知立という三河の町で育ちました。

ですから、私は日本生まれの日本育ち、学校の友達もみんな普通の日本人でした。

私が子どもの時、何か人と環境が違うなと感じたのは、
母が家で、同じ中南米出身の同胞の日系人や外国人たちと、頻繁に電話でスペイン語で話をしていたこと、
時々、彼女たちが家に遊びに来ていたこと、
また食事の面では、和食よりもアルゼンチン料理?を母が好んで作ってくれたこと、
また、私が母に、漢字の読みなどよく教えていたことくらいです。

私は、母の愛情をしっかりと受けて育ちましたが、性格は本当に内気でおとなしく、引っ込み思案で、人前に出ることが得意ではありませんでした。

今思い起こしてみても、私の幼少期から少年時代は、「ラテン系」とはほど遠い性格だったなと、当時の自分でも思っていました。

でも、こうして歳をとった今、改めて考えてみると、
思考の習慣や、ものごとのとらえ方のクセといったことは、
アルゼンチンで26歳まで住んでいた天真爛漫な母の性質を、私もちゃんと受け継いでいるということです。

ごくごく簡単にいえば、
母は何でも前向きで、過去をクヨクヨ悩んだりせず、前だけをみて、どんどん行動する方でした。
友達の面倒見がすごくよくて、毎日色々な友達と電話でおしゃべりしたり、相手の悩みを聞いてあげたり、相手に相談したり、手紙を書いたり、
そういうことが大好きな母でした。

面倒見良いとか手紙を書くとかは、私には当てはまりません笑。

ただし、常に前向きでポジティブなところと、いつでも陽気で楽しい雰囲氣を外に出しているとろは、まさに今の私もそうだと言えます。

自然に私が母から学んだのだろうと思います。

これは、私の生まれつきではなく、後天的に身につけた性質です。

母の言動を見て、私もその真似をするようになったのです。

母から学んだ、
この「ラテン系思考」というのは、
何も特別なものではありません。
誰でも習慣の力で身につけることはできるものです。

私が持っている独自のもので、世の中の人に役立つことがあるとしたら、
一番は、恐らくこのラテン系の性質の良さを人に伝え、またその輪を広げていくことです。