人は物心ついてからというもの、
多かれ少なかれ、自分のことを「演じながら」生きているのだと思います。
本能のままに思考して、行動していたら、恐らく色々な人間関係に争いや問題が起きて、破綻してしまうからです。
それでは生きていくのに都合が悪いので、
自分を抑えられる範囲で、人と協調したり、仲良くしたり、相手のことを思いやったりして、うまくコミュニケーションをとりながらやっていくことを無意識に身につけているのです。
それも、ある程度は当然必要なことであり、どこの国の人でもあるものだと思いますが、
それが行き過ぎると、人間の持つ多様性を否定する方向に向かいがちです。
特に日本社会は、「出る杭は打たれる」「空気を読め」とよく言われるように、
人との協調性を求められる傾向が非常に強い社会だと感じます。
またコロナ禍の最近では「同調圧力」などとも言われるように、何か人と同じように思考し行動していなければ、異端だと見なされてしまうような傾向を感じます。
本来は、人はそれぞれ生まれ育ちも家庭環境も違うわけですから、考え方であれ、生き方であれ、多様であるのが当たり前だと思うのですが、
それを外に出しにくいのが、日本社会にはあると感じます。
私もこの点に対しては、違和感、居心地の悪さを、小さなころからずっと、また今でも感じ続けています。
なぜ、人と違うことをすると変な目で見られるのか?
なぜ、素のままの自分では生きづらいのか?
その点、海外の多くの国では、
個人のものの見方、感じ方、行動の仕方などの多様性が認められているというか、許容されているように感じます。
対して日本では、
自分のありのままの感情や、感覚を抑えて、周りの人との関係を悪くしないように、自分を演じなければ、周りの人たちとうまく共存できないようなところがあると私は実感しています。
そして、「自分を演じる」ということが、多くの人を疲弊させる原因になっているのではないか、
と私は思います。
少し前の戦争のあった時代や、その後の高度成長時代では、
日本の社会全体の雰囲気が同じ方向を向いていたため、多くの人が、無意識に社会に飲み込まれていた、流されていたのかも知れませんが、
今はそんな時代ではありません。
自分を必要以上に抑えてまで、周りと合わせないといけない、という考え方には違和感を感じます。
もっと自分の素を出しあって、みんながお互いの違いに気づいて、認め合うことが必要ではないでしょうか。
みんながありのままの自分で生きれるようになることが大切です。
理想の自分を演じる必要は無いのです。